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	<title>TAKASHI ARAI PHOTOGRAPHY JOURNAL</title>
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	<description>写真家／ダゲレオタイピスト（銀板写真師）新井卓のウェブログです。</description>
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		<title>「原爆の図」について-1</title>
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		<pubDate>Sun, 22 Apr 2012 12:14:50 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[初期の作品群は、「原爆」という人類史上はじめての出来事を、その炸裂の下にいた者の立場からいかにして他者に伝えるのかという実践であり、（丸木位里・俊※）夫妻の集積した人々の体験の力、彼ら自身の芸術的な力があいまって、作品と [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><em>初期の作品群は、「原爆」という人類史上はじめての出来事を、その炸裂の下にいた者の立場からいかにして他者に伝えるのかという実践であり、（丸木位里・俊</em>※<em>）夫妻の集積した人々の体験の力、彼ら自身の芸術的な力があいまって、作品としての強度をもつ。同時に、こうした被爆体験の思想化の試みは、絶対的な伝達／表象不可能性という困難をつねに背負っているのであり、その困難はまた、私たちをとりまく現在的な課題とも無関係ではない。</em></p>
<p><em></em>（※括弧内引用者）小沢節子『原爆の図」描かれた＜記憶＞、語られた＜絵画＞』岩波書店、2002年</p>
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		<title>反原発運動、原爆の図、ジョナサン・ドーゴヴニク</title>
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		<pubDate>Wed, 29 Feb 2012 14:38:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin_takashi</dc:creator>
				<category><![CDATA[DIARY]]></category>

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		<description><![CDATA[16日のシンポジウムにご一緒させていただく、池澤夏樹さんと鷲尾和彦さんの本『春を恨んだりはしない &#8211; 震災をめぐって考えたこと』（中央公論社）を読み返している。 「骨壺が小さいので骨を砕かなければならないかも [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>16日のシンポジウムにご一緒させていただく、池澤夏樹さんと鷲尾和彦さんの本『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4120042618/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&amp;tag=yokohamabird-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4120042618">春を恨んだりはしない &#8211; 震災をめぐって考えたこと</a><img style="border: none !important; margin: 0px !important;" src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=yokohamabird-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4120042618" alt="" width="1" height="1" border="0" />』（中央公論社）を読み返している。</p>
<p><em>「骨壺が小さいので骨を砕かなければならないかもしれないと言われ、壺は使わないことにしてまだ温かい遺灰をそのまま白木の箱に入れて墓所に運んだ。墓石は倒れていなかったが回って向きが変わっていた。それを元の向きに戻して、遺灰を納めた。舞い上がった灰が額に触れてほわっと温かかったのを覚えている。」</em><br />
<em> （この話を聞きながらぼくは、大事なことはみなこのような細部から成っているのだと思った。）</em></p>
<p>これは池澤さんのご友人が、震災で亡くなった母親を荼毘に付す話だ。<br />
石の手触りや重さ。地面や手や遺灰それぞれの異なる温度。母親の体温を想起せずにはいられない灰の「温かさ」、焼かれた骨のカシュ、とした軽さ、その感覚のまぼろしが、東北沿岸のずっしりと冷たい空気の記憶とともに身体の芯を貫き、涙があふれた。大事なことはみなこのような細部から成っているのだ、と、そう木霊のように私も思う。</p>
<p>震災のあと、考え得るかぎりの酷い事態へと進行してしまい、進行させられてしまった原発事故に対して、100パーセント無関心な人などどこにもいないだろう。何事もなかったかのように振る舞う人であっても、原発事故の恐怖は、その人の心のどこかに、棘のように突き刺さったままでいるに違いない。私たちのあいだにある差異は、それを痛みとして感じるかどうか、恐れを、怯えとして具体的に表現できるかどうか、という違いでしかない。</p>
<p>あれから何度かの反原発デモに参加し、インターネット上の動向やNPOの活動をなるべくフォローするようにしてきた。<br />
いま私が感じているのは、反原発運動に限らず、こうしたすべての運動が少なからず「失敗」してきたのはなぜか？（ここでの成功とは、ものすごく単純に言ってしまえば過半数の人間が運動に賛同し、結果、法律や企業・行政の対応が変更を余儀なくされる、ということである）という疑問について、そろそろ考える必要がある、ということだ。</p>
<p>本来、ある運動について批判的な人たちに対して、運動を推進する側は粘り強く説得し、信頼を得て賛同する側に回ってもらう、ということを目ざしているはずである。しかし、現実には一つの運動に対して賛成、反対という二つの極が生まれ、互いに傷つけあい、傷つきあう構図がすぐに生まれてしまう。こうして、本来闘うべき対象がどこか高次の問題へと抽象化され、より低次のあらそいの中で全ての人が消耗していくことになる。新たな分断とはそういうことかもしれない。</p>
<p>1月にふたたび訪れた南相馬では、小高区の農家の人たちが、私の目の前で、ほとんど掴みかからんばかりの勢いで、何か言い合いをしていた。切れ切れに、「お前のところは線量がたけえから・・・」「そっちが手入れもしてねえから3とか4とか（おそらく線量のことだろう）平気で出るんじゃねえか」といったような言葉が聞こえてきた。</p>
<p>小高区は全域が危険区域に指定され立ち入りができない。しかし、その中でもそれぞれの世帯の事情、隣の地区との境界によって保障の内容や、個人の負担が違ってくるのだという。南相馬で私が逗留していた農家の主人は、そうやって小さい地区どうし、弱いもんどうし喧嘩させて、問題を誤魔化そうとしてるのさ。だからわざと地区毎に切ってやがる。そう言っていた。（これは第五福竜丸事件の後、保障を受けられた福竜丸乗組員たちとそうでなかった他のマグロ漁船の乗組員たちの間に、さらには、保障を受けた人々の間にさえ、金額の差によって分断が生まれたのと、まったく同じ構図だ。もちろん、水俣や炭鉱じん肺訴訟でも同じ。）</p>
<p>反原発運動を支持するグループや個人は、十分すぎるほど放射性物質の危険性、東電や政府、一部の地方自治体の背信行為を知っているから、その脅威をなんとかして伝えたいと思う。その結果、脅威について論理武装し、説得力のある情報を伝えようと試みる。<br />
しかし一方で、現状を積極的に知りたいと思わず、むしろ自分自身の生活や日々の仕事のルーティンの中で、それらの情報がノイズでしかない人たちにとっては、脅威を強調し、情報を強要することはかえってその人たちの心を閉ざし、遠ざけてしまうだろう。</p>
<p style="text-align: center;">* * *</p>
<p>画家の丸木位里・丸木俊夫妻は終戦直後、自身が眼にした広島の光景を全国の人々に伝えるために、<a href="http://www.aya.or.jp/~marukimsn/gen/gen1.htm" target="_blank">「原爆の図」</a>を描いた。<br />
現在の「原爆の図」とそれに続く連作は屏風や壁画となって丸木美術館に収蔵されているが、当時は全国への巡回を考え、複数の掛け軸として表装されていた。1950年から数年間、丸木夫妻はその掛け軸を背負子で担いで、全国を行脚しながら、展覧会を開いていたのである。<br />
戦後の反核運動は丸木夫妻の地道な活動によって署名運動として地方から少しずつ立ち上がり、その後の第五福竜丸事件によって原水爆禁止運動へと拡大していった。しかし、ここでもっとも重要なのは、その運動の初期において丸木夫妻の果たした役割である。現在のように報道写真が流通するインフラは整っていなかったし、そもそも1952年まではGHQによって原爆に関するプレスコードが敷かれていたため、原爆による被災状況を、映像として知り得た人はほとんどいなかったはずだ。<br />
当時はまだ公民館など十分整備されていなかった時代だったから、百貨店、大学の講堂、お寺、旅館、お堂、さらには鶴見の造船所というような場所を会場として、「原爆の図」巡回展は行われた（<a href="http://www.aya.or.jp/~marukimsn/news/n073.htm" target="_blank">※</a>）。（ギャラリーや美術館で展示することによって美術を権威づけしていく現代において、むしろ、アーティストとして見習うべきアティチュードといえないだろうか？）<br />
このような場所（ちなみに今では「サイトスペシフィック」という横文字が横行しているが、そんなものは少し前までは当たり前だったし、広島で描かれた原爆の図は北海道ではサイトスペシフィックでないというのか？そうだとして、何が悪いのか。まったく役にたたない観念だ。）で、市井の人々を、署名運動へと導いたのは、「原爆は人類にとって悪である」というドグマではもちろんなく、丸木夫妻によって描かれた絵の細部（幽霊のように手をだらんと弛緩させて歩く全裸の妊婦。ふくれあがった腹や、死体の山の中からこちらを凝視する眼。それらは丸木夫妻の記憶の中の現実によって、描かれた）が与えた、身体感覚としての衝撃とシンパシー、そしてそこから生じる怒りだったはずだ。<br />
結局のところ本当に人の魂を動かし、行動へ駆り立てるのはそうした細部でしかない。そんなものあるかどうかも疑わしい「想像力」など（まして「理性」など）よりも、手や鼻や耳を通して伝わる感覚の方が、よほど強い。</p>
<p>ちなみに、きわめて乱暴な言い方になるが私は、公害や薬害問題に関する運動が、暴力事件などに比べ過激な運動へと発展しにくいのは（もちろん、暴力に対する抵抗運動がいつも存在するとは限らないにせよ）、個々人の感覚的な連帯の差ではないかと思っている。直接的に身体に加えられる傷害やレイプなどの暴力は、おそらく私たちが最も、皮膚感覚を通して理解しやすい災いの一つだろう。<br />
2月初めに、2010年に「フクギの雫」を作ったハーフセンチュリー宮森の代表、宜野座映子さん（私が中退したICUの先輩だ。彼女については書かなくてはいけないことが山ほどあるが、また改めて）に小6少女暴行事件の現場に案内してもらった。映子さんの説明はとても生々しかった。レイプされた女の子が、草をきつく握りしめていて、どれだけ苦しく、悔しい思いだったか。映子さんが身体の前で、両手を固く握りしめて話している。私のなかで得体のしれない感情が炸裂し、耳鳴りに襲われ身動きひとつできなかった。口を半開きで話しを聞く私は、3人の黒人兵に犯される少女であり、また同時に、少女を犯す3人の兵士だった。</p>
<p>これと反対に水銀の体内濃縮や放射性物質への低線量被ばく、潜在期間の長いウイルスへの感染といった災いは、それを知らない人がそれぞれの身体感覚に照らし合わせることが難しく、具体的な苦痛として同化することができない。こうして、苦痛に対する時間的・感覚的な遅延が、すでに運動の減衰を内包していることになる。</p>
<p style="text-align: center;">* * *</p>
<p>写真批評家の竹内万里子さんが日本に紹介した写真家、ジョナサン・ドーゴヴニクの写真集『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/490354558X/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&amp;tag=yokohamabird-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=490354558X">ルワンダ ジェノサイドから生まれて</a><img style="border: none !important; margin: 0px !important;" src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=yokohamabird-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=490354558X" alt="" width="1" height="1" border="0" />』（赤々舎、2010）[※原題：Intended Consequences: Rwandan Children Born of Rape]は、1994年のルワンダで発生したジェノサイドの際、レイプされた結果生まれた子ども（推計で2,000人に上るとされる）と、その母親を一緒にとらえたポートレイトで構成されている。<br />
一見するとごく普通の家族写真であるそれらのイメージの中に、暴力の痕跡を示すものはほとんどない。母子はこちらをじっと見つめている。表情はニュートラルで、午睡から目覚めたばかりのようにも、話し疲れて、熱っぽい喉とまぶたを休めているようにも見える。写真と一対になって、長文のテキストが掲載されている。これは、撮影の前に数時間にわたって、ドーゴヴニクが行ったインタビューをそのまま起こしたものである。<br />
アフリカ人同士による大量虐殺とレイプ、そしてその結果生まれた子どもたち。それを、もしニュースのヘッドラインとして簡潔に聞かされたとすれば、私は逃げ出したくなると思う。問題があまりにも深刻すぎ、そして何よりも、この場所から遠すぎる（複雑な話になってしまうが、つまりニュースとは、出来事が、そのように言い訳をできる十分な距離にある、ということを示すことしかできない。津波のとき、それをリアルタイムに見ていたのは「私たち」であり「彼ら」ではないということ）。しかし、ドーゴブニクの写真は磁石のように私を引きよせ、見、聞く（実際には、テキストを読むだけだが）ことを誘う。それは魅力的であるとさえいってもよい。私たちはイメージと語りの細部に誘われ、迎え入れられ、見、聞きすることを許される。いつしか「そこ」は「ここ」と同義である。</p>
<p>この写真集がいま日本国内でも大きな反響を呼んでいることが、私たち表現者がいますべき仕事を、はっきりと示しているのではないか、という直感がある。丸木夫妻の仕事とともに、しばらくの間それについて考え、手を動かすつもりでいる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: center;">&#8212;&#8212;</p>
<p style="text-align: center;">
<p align="left">3月16号，我有幸将和池泽夏树先生，鹫尾和彦先生共同出席研讨会。此时，再一次品读他们共同撰写的『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4120042618/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&amp;tag=yokohamabird-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4120042618">春を恨んだりはしない – 震災をめぐって考えたこと</a>』（中央公论设）（译：《莫愁春—回想震灾》）一书，感触颇多。</p>
<p align="left">“由于骨灰盒很小，不得不先将骨头捣碎，所以，没有使用它，而是把残存余温的遗骨直接放入白原木制的盒中，将其运往墓地。把被转了向却还没有放倒的墓碑转回原来的位置。将遗骨挪放进去的那一刻，骨灰扬起，额头触碰到它的温度，记忆犹存。”</p>
<p align="left">这是池泽先生的友人讲述他那在地震中遇难的母亲的一段话。记不起母亲的体温，有的，只是这骨灰的温热，感觉到的，只是这被燃烧过后几乎没有重量的遗骸。脚下的大地，手，还有这骨灰，存在在不同的温度空间。回想起我曾站在东北沿岸，冰冷的空气沁入到发肤，此刻，身体顿时像是被灌了铅，不知不觉中，泪水湿润了眼眶。原来，万事万物只是由这些细小不起眼的东西组成而来。</p>
<p align="left">灾难过后，事态朝着我们预想最坏的方向发展。直面这样的现实，相信没有人会完全无动于衷。如今，虽然有些人已表现得若无其事，但核事故带来的恐惧就像荆棘一般，谁的心里都有着某个部位被刺痛过。只是，你我对伤痛的敏感程度，以及能否将胆怯与惶恐表达出来，存在着差异罢了。</p>
<p align="left">我已参加数次反核游行，密切跟进和关注网络动向以及NPO活动。我疑惑，为何从未停止的反核运动却从未成功？（这里所指的成功，单纯地解释起来就是超过半数的人同意，最终达到使法律，企业，行政没有变更得余地的目的）</p>
<p align="left">本来期待的是,能够说服那些不支持反核运动的人们，得到他们的肯定和信赖，最后与我们携手同一战线。但是事实却不尽人意，赞成与反对的两派走向了极端，陷入了相互伤害的尴尬境地。原本的斗争对象被抽象化，低级的争辩却成为了主旋律。</p>
<p>一月再次走进南相马，听到了小高区的农户人家激烈地争辩，内容大概是关于核辐射指数的情况。</p>
<p align="left">由于小高区是危险区，禁止入内。这个地方的情况不容乐观。在小高区的居民因为家庭和所处区域的不同情况，所受的保障待遇，个人的负担情况也不一样.我曾拜访的一处农家，家里的主人曾煽动邻里之间的矛盾，挑拨大家的关系。这情况和第五福龙丸事件<sup>［</sup><sup>1</sup><sup>］</sup>很相似。受到保障的福龙丸船员和没有受到保障的“金枪鱼渔船”船员之间也产生了隔阂。水俣病事件，尘肺病事件也是类似情况。</p>
<p align="left">支持反核运动的集体以及个人，都深知放射性物质的危害性，看清了东电和政府以及地方自治体的背义行为和内幕，他们努力想把这些所谓的“威胁”传达给更多的人。所以将这些“威胁”理论化，希望自己能更有说服力。然而，有些人却认为这种“说服”只是影响生活的噪音，并不积极地去了解。反核一方对“威胁”越是强调，他们却越是反感，两方渐行渐远。</p>
<p style="text-align: center;" align="left"> ***</p>
<p align="left">画家丸木夫妇在二战结束后，一直致力于向全国展示广岛的情况。他们完成了作品——“图现原子弹”。在创作完成初期，为了全国巡展，该作品以轴画的形式呈现。而现在，该作品及其续作被制为屏风、壁画，收藏于丸木美术馆。</p>
<p align="left">1950年以来，数年间，丸木夫妇携带这些挂轴，辛勤地游走于全国开办展览。那是一个公民馆<sup>［</sup><sup>2</sup><sup>］</sup>还不完善的年代，丸木夫妇就在百货商店，大学的讲堂，寺庙，佛堂，旅馆，甚至是鹤见的造船厂这样的地方展览。</p>
<p align="left">战后的联名反核运动是由他们所作的这些努力开始，影响力一点一点不断扩大。之后，随着第五福龙丸事件的发生，反原子弹氢弹运动规模也逐渐扩大。这其中最值得强调的是，丸木夫妇是运动初期扮演了重要角色。</p>
<p align="left">当时，图片报道尚未形成体系，GHQ<sup>［</sup><sup>3</sup><sup>］</sup>在1952年前对核爆新闻实行封锁，所以，关于原子能爆炸的灾害情况，能够知晓的人少之又少。</p>
<p align="left">现如今，能在博物馆，美术馆展览自己作品的艺术家们，地位也得到了肯定和提升。然而，作为艺术家，我们更应该追求的是像丸木夫妇这样崇高的艺术家精神。</p>
<p align="left">丸木夫妇倡导的联名运动并不是直接给老百姓灌输‘原子弹是人类的恶瘤“的教条思想。把眼球定位在丸木夫妇作品，有全裸的妇女无力搭拉着手丢了魂似的挪着步子，有膨胀的腹部，有在死人堆里凝视你的一双眼。这些都是丸木夫妇从记忆中拾起的现实。被他们抒画的细节， 动画了被定格的躯体。活化了作画对象的灵魂。这样的作品，带给我们的是从五官到全身心的震撼，唤起了我们的同情心，激发了我们的愤怒。</p>
<p>请容我捎带几句过激的言辞，与公害或者药物危害有关的反抗运动，比起暴力突发事件来说更难往激烈的方向发展（当然，抵抗暴力的运动也是一直存在的），也许是由于人与人之间的团体意识有所差异。我想，直接的身体伤害，强奸等暴力行为，是一种通过发肤最“简单明了“的灾祸。</p>
<p>“ハーフセンチュリー宮森”演剧团的代表，创作了「フクギの雫」的宜野座映子女士（我曾就读，而后中途退学的国际基督大学的前辈。关于她，我有道不尽的话，以后再做补充。）带我去了六年级少女被强暴的现场。映子女士的说明很生动。她将两手紧握于身体前方，跟我描述着，被害女子抓着草痛苦不堪的情形浮现在我的脑海。我的情绪在体内炸开了锅，耳鸣脑胀，身体却失去了控制，一动也不能动。目瞪口呆的我听得忘了我，精神分裂在被害的少女，分裂在邪恶的三个黑人士兵。</p>
<p>这与水银中毒以及被放射性物质辐射到，或者被长时间潜伏的病毒感染，是截然不同的。以上所说的，只有真切经历过，才能明白那种痛苦。而对于这件事情，虽然我不是当事人，却感同身受。那是一种自身运动功能衰退的感觉。</p>
<p style="text-align: center;">***</p>
<p align="left">摄影批评家竹内万里子把摄影家Jonathan Torgovnik 的摄影集——《Intended Consequences: Rwandan Children Born of Rape》介绍到了日本。该作品是以1994年卢旺达大屠杀事件中，惨遭强暴的妇女以及她们孕育的孩子（大约2000人）的肖像照片构成。</p>
<p align="left">乍一看，和普通的家庭照并无区别，丝毫没有流露出暴力的痕迹。母子凝视着镜头。淡淡的表情，像是刚午睡醒，又或者是谈话后喉咙还发着热，眼神中稍有倦意。与照片配套的长文段的内容是摄影之前数小时对受害者的采访纪录。</p>
<p align="left">如果是从新闻的标题看到“卢旺达大屠杀”的大字幕，一来会觉得这种事情存在复杂的背景，过于深刻沉重，二来，新闻类型的报道方式常常让我觉得有距离感，所以我的的眼睛不会稍作停留。就像海啸发生的时候，看着报道的人是“我们”，而不是那些正在经受苦难的人。</p>
<p align="left">但是，这个摄影集的魅力犹如吸铁石一般，不仅是视觉，我的五官神经都被激发了。“那儿”和“这儿”、时间空间的距离瞬间被打破。</p>
<p align="left">这部作品在国内引起了巨大的反响。我将延续我一直以来所愿的，同时心怀丸木夫妇的事业理想，思考着，行动者，将那儿的福岛带到我们身边。</p>
<p align="left">
<blockquote>
<p align="left">［1］</p>
<p align="left">1954年3月1日，在马绍尔群岛附近海域捕鱼的第五福龙丸，受到美国在比基尼岛进行的水下氢弹试爆所产生之辐射影响，渔船上23名船员和船上的渔获全受到核污染。虽然在试爆时，第五福龙丸在美国设定的危险水域以外捕捞，但船员因感到危险而决定回航。只是收拾渔网花费了许多时间，致使第五福龙丸的船员在接下来的数小时内一直暴露在放射性降尘（“死灰”）的照射下而受害。之后美国将危险海域扩大，除了第五福龙丸外，当时在危险海域内作业的渔船数目不详。据估计，当时受到氢弹试爆影响而被放射性物质污染的渔船，可能有数百艘之谱。</p>
<p align="left">第五福龙丸遭受到氢弹试爆的辐射所污染的事件，引起当时日本国内激烈的反核运动。由于担心反核运动转变为反美运动，美国方面紧急与日本政府进行辐射被害者的补偿交涉，提出总计200万美元的补偿金额。附带条款是“日本政府不要再追究美方责任”的担保书，以解决此事。</p>
<p align="left">（来源：维基百科）</p>
<p>［2］</p>
<p align="left">公民館（こうみんかん）とは、住民のために、実際生活に即する教育・学術・文化に関する各種の事業を行う教育施設のことである。（来源：维基百科）</p>
<p align="left">译文：日本市町村为本地居民设立的，进行教育核文化等各种事业的社会教育设施。</p>
<p align="left"> （来源：维基百科）</p>
<p>［3］</p>
<p>GHQ:</p>
<p>日语：連合国軍最高司令官；英语：Supreme Commander of the Allied Powers或Supreme Command of Allies in the Pacific，简称SCAP），又译为盟军最高司令官总司令部、盟军最高司令部，是美国远东军司令兼驻日美军总司令道格拉斯·麦克阿瑟将军在同盟国军事占领日本期间的一个头衔。第二次世界大战结束，为执行美国政府“单独占领日本”的政策，麦克阿瑟将军以“驻日盟军总司令”名义在日本东京都建立盟军最高司令官总司令部（英语：General Headquarters），在日本通称为“GHQ”。</p>
<p>（来源：维基百科）</p></blockquote>
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		<item>
		<title>新井卓摄影展 &#8220;此岸，彼岸 — 明日之岛&#8221;</title>
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		<pubDate>Wed, 29 Feb 2012 03:24:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin_takashi</dc:creator>
				<category><![CDATA[exhibitions]]></category>
		<category><![CDATA[NEWS]]></category>

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		<description><![CDATA[新井卓摄影展 &#8220;此岸，彼岸—明日之岛&#8221; 时间: 2012年3月14日（星期三）〜3月20日（星期二） 10:30〜18:30（截止日当天为15；00结束） 地点：银座尼康沙龙 [巡回展] 时间:  [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h5>新井卓摄影展 &#8220;此岸，彼岸—明日之岛&#8221;</h5>
<p>时间: 2012年3月14日（星期三）〜3月20日（星期二）<br />
10:30〜18:30（截止日当天为15；00结束）<br />
地点：银座尼康沙龙</p>
<p><strong>[巡回展]</strong><br />
时间: 2012年4月5日（星期四）〜4月11日（星期三）<br />
地址: 大阪尼康沙龙</p>
<h5>第三回研讨会［图片与文字—记录前的那些事］</h5>
<p>时间: 2012年3月16号（星期五）<br />
18:30〜20:00<br />
地点: 新宿尼康广场<br />
讲师: <strong>池泽夏树</strong>（小说家，诗人）, <strong>鹫尾和彦</strong>（摄影家）, <strong>新井卓</strong>（摄影家）, <strong>竹内万里子</strong>（摄影批评家，尼康沙龙评委）</p>
<p><span style="color: #800000;">友好提醒：个人展与研讨会在不同场所进行</span></p>
<p style="text-align: center;">***</p>
<p>正值东日本大地震一周年之际，尼康沙龙连续企划展&amp;祭奠311研讨会，即将拉开序幕。<br />
此次活动包括8位摄影家的系列作品展，以及五回纪念研讨会。<br />
新井的系列作品——“此岸，彼岸——明日之岛 ” ，也作为此次活动的其中一环，将于3月14日开始，在银座尼康沙龙进行为期一周的展出。<br />
该系列作品包括，至此一年的福岛及其周边地区，以及东京，自身生活环境的掠影。<br />
核灾难是继大地震，海啸，给你我，甚至是给世界残留下阴霾的人祸。时隔一年，在距离福岛200公里的首都圈生活的人们，怎能隔岸观火，袖手旁观？</p>
<p>照片担负的双重使命是，将远处的现实带来以及将我们带到远处的世界。</p>
<p>现在将“3月11日”换成了“311”，“福岛”的汉字也被写成了片假名“フクシマ”（片假名：日语中表音符号的一种）。除了这样的名字替换，作为摄影师，要怎么做才能让我们不再伤痛又不忘伤痛呢？这个问题，一直牵引着我往来于福岛和川崎。</p>
<p style="text-align: center;">***</p>
<p>在此，我想对以下提及，以及那些协助我完成肖像拍摄，在此无法提名的诸位，表达诚挚的谢意。（敬称略）</p>
<p>都立第五福利龙展示馆,KEN,南相马故乡回归支援中心，保护儿童原理辐射福岛网，财团法人和谐中心，相马poni马场，安斋彻（magenedo饭馆），原田麻以（kokorumu东北出差事务所），森民宿，民宿yamari菊池，小町温泉广田屋<br />
装置制作：菊田铁男（kWorx）<br />
翻译：劉芸芳</p>
]]></content:encoded>
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		<title>Solo Exhibition:「Here and There ─ 明日の島」</title>
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		<pubDate>Mon, 27 Feb 2012 06:12:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin_takashi</dc:creator>
				<category><![CDATA[exhibitions]]></category>
		<category><![CDATA[NEWS]]></category>

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		<description><![CDATA[→中文／Chinese Language http://www.nikon-image.com/activity/salon/news/index6.htm Takashi Arai Solo Exhibition &# [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<pre><a href="http://www.takashiarai.com/wordpress/?p=1798">→中文／Chinese Language</a></pre>
<pre><a href="http://www.takashiarai.com/wordpress/wp-content/uploads/c90c8adbd95f5a2815ca2652ba0497af.jpg" rel="lightbox[1758]"><img title="＊新井卓写真展2" src="http://www.takashiarai.com/wordpress/wp-content/uploads/c90c8adbd95f5a2815ca2652ba0497af.jpg" alt="Here and There - Takashi Arai Solo Exhibition at Nikon Salon Ginza" /> </a></pre>
<pre><a href="http://www.nikon-image.com/activity/salon/news/index6.htm" target="_blank">http://www.nikon-image.com/activity/salon/news/index6.htm</a></pre>
<h5>Takashi Arai Solo Exhibition <em>&#8220;Here and There &#8211; Ashita no Shima (Tomorrow&#8217;s Islands)&#8221;</em></h5>
<p>Date: March 14 &#8211; 20, 2012<br />
Open Everyday: 10:30am &#8211; 6:30pm<br />
Place: Ginza Nikon Salon, Tokyo <a href="http://maps.google.co.jp/maps?q=%E9%8A%80%E5%BA%A7%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3&amp;ie=UTF8&amp;ll=35.671295,139.764118&amp;spn=0.00964,0.014162&amp;fb=1&amp;gl=jp&amp;hq=%E9%8A%80%E5%BA%A7%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3&amp;cid=0,0,5113454827723159274&amp;t=m&amp;z=16&amp;brcurrent=3,0x60188be7d265dcef:0xb2c4fab3b3db43c8,0">[map]</a></p>
<p>Date: April 5-11, 2012<br />
Place: Osaka Nikon Salon, Osaka <a href="http://maps.google.co.jp/maps?q=%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3&amp;ie=UTF8&amp;ll=34.702742,135.495908&amp;spn=0.009755,0.014162&amp;fb=1&amp;gl=jp&amp;hq=%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3&amp;hnear=0x6000e6553406e2e1:0xc55bc16ee46a2fe7,%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82&amp;cid=0,0,6841072291368380003&amp;t=m&amp;z=16&amp;iwloc=A&amp;brcurrent=3,0x6000e68cf7e8c80d:0x7699caad295963c2,0" target="_blank">[map]</a></p>
<h5>Symposium <em>&#8220;Photography and Narratives &#8211; What is Possible after Documentary?&#8221;</em></h5>
<p>Panels: <strong>Natsuki Ikezawa</strong> (novelist / poet), <strong>Kazuhiko Washio</strong> (photographer), <strong>Takashi Arai</strong> (photographer), <strong>Mariko Takeuchi</strong> (critic / councilor of Nikon Salon)</p>
<p>Date: March 16th, 2012.<br />
Time: 6:30pm &#8211; 8:00pm<br />
Place: Nikon Plaza Shinjuku, Tokyo<a href="http://maps.google.co.jp/maps?q=%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6%E6%96%B0%E5%AE%BF&amp;hl=ja&amp;ie=UTF8&amp;sll=35.671295,139.764118&amp;sspn=0.00964,0.014162&amp;gl=jp&amp;brcurrent=3,0x60188cd14ca8d159:0x98dab29c15d4a656,0&amp;hq=%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6&amp;hnear=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA&amp;t=m&amp;z=16" target="_blank"> [map]</a></p>
<p style="text-align: center;">***</p>
<p>Takashi Arai&#8217;s next solo show titled &#8220;Here and There &#8211; Ashita no Shima&#8221; will be held at Ginza Nikon Salon and Osaka Nikon Salon in this spring.<br />
This exhibition will be composed of 15 daguerreotypes newly taken around Fukushima and Tokyo after the great earthquake and tsunami disasters hit the northeastern area in Japan on March 11th, 2011.<br />
The following incident at Fukushima Daiichi nuclear station is now well known as the one of the most serious disasters in the history arose from human mistakes.<br />
The people in the Tokyo metropolitan area is, however, gradually forgetting the incident and blunt their critical attitude, only after one year since we witnessed the horrible scenes on the media.<br />
Arai questions how, and why we could separate our &#8216;normal&#8217; lives from the others&#8217; in Fukushima, merely 220 km north from Tokyo.<br />
Photography traditionally rolls as a medium which conducts us foreign realities, but at the same time, unfamiliar and/or uncomfortable images estrange us from everyday lives that is surely led behind the scenes.<br />
What can photography do without symbolizing or dissimilating Fukushima then?<br />
This fundamental question continuously brought Arai to frequent trips to Fukushima from his home town Kawasaki, to reunite two realities, and to mend separated lives together.</p>
<address>cooperated by Daigo Fukuryu Maru Exhibition Hall, KEN, Minamisoma City Homecoming Support Center, Fukushima Network for Saving Children from Radiation, Soma Pony Farm of Harmony Center Foundation, Toru Anzai (Magenedo IITATE), Mai Harada (Cocoroom Tohoku br.), Mori Inn, Yamari Kikuchi Inn, Komachi Spa Hirota-ya, Tetsuo Kikuta (kWorx), Liu Yifang</address>
<address> </address>
<h5 style="text-align: center;">&#8212;</h5>
<h5>●新井卓個展「Here and There －明日の島」</h5>
<p>日時：2012年3月14日 (水) ～3月20日 (火) 10：30～18：30（最終日は15：00まで）<br />
場所：<a href="http://maps.google.co.jp/maps?q=%E9%8A%80%E5%BA%A7%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3&amp;ie=UTF8&amp;ll=35.671295,139.764118&amp;spn=0.00964,0.014162&amp;fb=1&amp;gl=jp&amp;hq=%E9%8A%80%E5%BA%A7%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3&amp;cid=0,0,5113454827723159274&amp;t=m&amp;z=16&amp;brcurrent=3,0x60188be7d265dcef:0xb2c4fab3b3db43c8,0" target="_blank">銀座ニコンサロン</a><br />
会期中無休</p>
<p>【巡回展】<br />
日時：2012年4月5日 (木) ～4月11日 (水）<br />
場所：<a href="http://maps.google.co.jp/maps?q=%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3&amp;ie=UTF8&amp;ll=34.702742,135.495908&amp;spn=0.009755,0.014162&amp;fb=1&amp;gl=jp&amp;hq=%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3&amp;hnear=0x6000e6553406e2e1:0xc55bc16ee46a2fe7,%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82&amp;cid=0,0,6841072291368380003&amp;t=m&amp;z=16&amp;iwloc=A&amp;brcurrent=3,0x6000e68cf7e8c80d:0x7699caad295963c2,0" target="_blank">大阪ニコンサロン</a></p>
<h5>●第3回シンポジウム「写真とことば－記録の先にあるもの」</h5>
<p>日時：2012年3月16日(金)　18：30〜20：00<br />
場所：<a href="http://maps.google.co.jp/maps?q=%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6%E6%96%B0%E5%AE%BF&amp;hl=ja&amp;ie=UTF8&amp;sll=35.671295,139.764118&amp;sspn=0.00964,0.014162&amp;gl=jp&amp;brcurrent=3,0x60188cd14ca8d159:0x98dab29c15d4a656,0&amp;hq=%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6&amp;hnear=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA&amp;t=m&amp;z=16" target="_blank">ニコンプラザ新宿</a><br />
講師：<strong>池澤夏樹</strong>（小説家・詩人）×<strong>鷲尾和彦</strong>（写真家）×<strong>新井 卓</strong>（写真家）×<strong>竹内万里子</strong>（写真批評家／ニコンサロン選考委員）</p>
<p><span style="color: #800000;">※個展会場とシンポジウムの会場が異なりますのでご注意ください</span></p>
<p style="text-align: center;">***</p>
<p>2012年3月14日より一週間、銀座ニコンサロンにて個展「Here and There ─ 明日の島（あしたのしま）」を開催します。</p>
<p>本展は、ニコンサロン連続企画展＆シンポジウム「Remembrance 3.11」の一環として行われます。昨年の東日本大震災から1年を迎えるこの時期にあわせ、新井を含め8名の写真家による企画展と5回に渡るシンポジウムが開催されます。<br />
3月16日には、小説家・詩人の池澤夏樹氏、写真家の鷲尾和彦氏、写真批評家の竹内万里子氏とともに、シンポジウムに参加予定です。</p>
<p>「Here and There ─ 明日の島」は、昨年来福島とその周辺、さらには東京やわたし自身の生活を見つめながら、1枚ずつ撮影してきた銀板写真で構成されます。<br />
大震災、津波につづく核災害は、今やすべての人類に影響を及ぼす重大な人的災害として、世界に影を落としつづけています。しかしながら、福島からわずか二百数十キロしか離れていない東京や首都圏で、わたしたちはなぜ、これほどまでに福島の現実から乖離したまま、日々の生活を営んでいられるのか。</p>
<p>写真は遠く隔たった「現実」をわたしたちに伝えるとともに、写された場所や出来事、人々を、写真を見るものの現実／生活から分断する役割を同時に担ってきました。<br />
かつて、たとえば広島や水俣がそうであったように、3月11日を「3.11」に、福島を「フクシマ」へと書き換え、手触りのいい記号に置き換えることなく、福島の生を私たちの生から分断することなしに、いま何が可能なのか。<br />
福島と、私の暮らす川崎を往復しながら、これらの疑問について考えつづけています。</p>
<p style="text-align: center;">***</p>
<p style="text-align: left;">尚、制作にあたり以下の方々に、多大なるご助力を賜りました。厚く御礼申し上げます。また、ポートレイト撮影に快くご協力いただいた皆様、ここにお名前を掲載し得なかった皆様にも、心より感謝いたします。<br />
（敬称略）</p>
<p style="text-align: left;"><a href="http://d5f.org/" target="_blank">都立第五福竜丸展示館</a>、<a href="http://www.kenawazu.com/" target="_blank">KEN</a>、<a href="http://www.msouma-furusato.jp/" target="_blank">南相馬市ふるさと回帰支援センター</a>、<a href="http://kodomofukushima.net/" target="_blank">子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク</a>、<a href="http://www.pony-harmony.com/" target="_blank">財団法人ハーモニィセンター 相馬ポニー牧場</a>、安齋徹（<a href="http://space.geocities.jp/iitate0311/" target="_blank">まげねど飯舘！！</a>）、原田麻以（<a href="http://www.cocoroom.org/project/tohoku/index.html" target="_blank">ココルーム東北出張所</a>）、<a href="http://www.city.minamisoma.lg.jp/kankokoryu/iju/noukaminnsyuku-0309.jsp" target="_blank">森の民宿</a>、<a href="http://www.google.co.jp/url?sa=t&amp;rct=j&amp;q=%E6%B0%91%E5%AE%BF%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%AA&amp;source=web&amp;cd=1&amp;ved=0CDEQFjAA&amp;url=http%3A%2F%2Fwww3.ocn.ne.jp%2F~yamari%2F&amp;ei=8yNLT97OPIvDmQXm7L2CDg&amp;usg=AFQjCNHsztA_8fnPQKu5Yf-Y8QOV4NJLpA&amp;sig2=5RxhJHHNOb6tvc0MhBiVvA" target="_blank">民宿ヤマリ菊池</a>、<a href="http://www31.ocn.ne.jp/~komachi/" target="_blank">小町温泉廣田屋</a></p>
<p style="text-align: left;">装置制作：菊田鉄男（kWorx）<br />
中国語訳：劉芸芳</p>
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		<title>Season&#8217;s greetings from Takashi Arai Photography</title>
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		<pubDate>Wed, 28 Dec 2011 07:33:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin_takashi</dc:creator>
				<category><![CDATA[DAGUERREOTYPE]]></category>
		<category><![CDATA[PHOTO]]></category>

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		<description><![CDATA[&#8220;This is the daguerreotype of the pine tree in Rikuzen Takata, Iwate pref. that survived massive earth q [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.takashiarai.com/wordpress/wp-content/uploads/111205_Takada_Ipponmatsu_1_trm_s.jpg" rel="lightbox[1751]"><img class="alignnone size-full wp-image-1752" title="111205_Takada_Ipponmatsu_1_trm_s" src="http://www.takashiarai.com/wordpress/wp-content/uploads/111205_Takada_Ipponmatsu_1_trm_s.jpg" alt="" /></a></p>
<p>&#8220;This is the daguerreotype of the pine tree in Rikuzen Takata, Iwate pref. that survived massive earth quake and tsunami disaster on March 11.<br />
We never forget the harsh spring in 2011.<br />
We never forget Fukushima and protest against the silence and oppression over anti-nuclear movement in Japan.&#8221;</p>
<p>&#8220;これは陸前高田で3月11日の地震と津波を耐え、生き残った松の銀板写真です。<br />
私たちは2011年の苛烈な春を決して忘れません。<br />
私たちは、福島を決して忘れません。<br />
そして、この国で起こりつつある反原発運動に対するあらゆる抑圧と、この問題について目を背けようとする人々の沈黙に対して、異議申し立てを行います。&#8221;</p>
<p>Takashi Arai / photographer</p>
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		<title>Snowy road to Mt. Hayachine/早池峰</title>
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		<pubDate>Wed, 07 Dec 2011 06:48:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin_takashi</dc:creator>
				<category><![CDATA[VIDEO]]></category>

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		<title>schibboleth</title>
		<link>http://www.takashiarai.com/wordpress/?p=1735</link>
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		<pubDate>Mon, 28 Nov 2011 13:51:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin_takashi</dc:creator>
				<category><![CDATA[DIARY]]></category>
		<category><![CDATA[MEMO]]></category>

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		<description><![CDATA[3月11日以降のできごとについて、私たちが個々に抱いてきた恐れや不安、憤りを、いま実際に見、聞き、呼吸しているこの日常の風景と結びつけ、ひとつの具体的な所作へと導くことは、とても難しい。 今日、来年3月に都内某所で予定し [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>3月11日以降のできごとについて、私たちが個々に抱いてきた恐れや不安、憤りを、いま実際に見、聞き、呼吸しているこの日常の風景と結びつけ、ひとつの具体的な所作へと導くことは、とても難しい。</p>
<p>今日、来年3月に都内某所で予定している個展の依頼状が、手元に届いた。<br />
この展覧会では「夜々の鏡」のシリーズをひきつぐかたちで、福島での銀板写真を展示するつもりでいる。川崎での展示が終わってから、何度か福島をおとずれ、いまいったい何が可能であるのか、必死に考えようとしていた。でも、答えはみつかりそうにない。</p>
<p>原子力発電所が爆発したすぐ後や、飯舘村や葛尾村の高濃度汚染が発覚し（ほんとうは初めから分かっていたし、科学技術の粋を尽くしたシュミレータは、精確にその事実を予知していた。心ない人たちは、一人一人の人間であることをやめ、事実を隠し、自らは組織の背後で息を殺していた）「計画的避難区域」となったころ、それらの農村は無数の傷口を開いて悲鳴を上げていた。<br />
夏草が伸び放題の水田や、空き巣に破られたまま黒い口を空けている窓ガラスや勝手口、怯えた野良犬たち。私は、そうした細部がいまそこで起きていることを、ごく間接的であるにせよ、伝えているように思った。<br />
しかし、10月初めにもう一度飯舘村を訪れたとき、何かが変わっていた。田畑はきれいに刈りこまれ、家々にはすこし人の気配が戻っていた。もう、もとの家で暮らし始めたお年寄りもいるという。あたかもすべてが夢うつつであったかのように、整然と広がる里の風景を前に、私は何度も目を擦りながら車を走らせていた。<br />
そのとき、私は何かを必死で探していたのではないか？では、いったい何を探していたというのだろう？何を期待し、あるいは何を見ようと、あらかじめ決めていたのか。田畑がますます荒廃し、家々がつる草やヤエムグラに埋もれていれば、私は満足し勇み足でそれを撮っただろうか。</p>
<p>いま、この場所で撮り、それらのイメージにひとつの場所の名前をそっと書き添えるとき、その人は何をしようとしているのだろうか？<br />
飯舘村、南相馬、福島、それらの名前が含みはじめたある共通の手触り。マス・メディアが、そして個々の写真家や作家、活動家たちがその名に触れるたびに、飯舘は飯舘からすこしずつ遠ざかっていく。かつてヒロシマやナガサキ、オキナワがそうであったように。<br />
目に見えるものはすぐさま消費されていく、そして目に見えないものは触知できず、忘れ去られる。</p>
<p>見えるものと見えないものの間に、ひとつのシボレートがある。それを言うことができるものは通ることができるが、その途端、もうその人はその人でなくなる。</p>
<p>今日手にした依頼状の雪のような紙面は、時間があまりないことを告げている。その白さにはっとさせられ、同時にひとつのヴィジョンが閃いた。たぶん、私がすべき仕事は、「そこ」を「そこ」として叙述したり、記録することではない。なかば強制的に、ふたつの異なった地点、ふたつの異なった日常を短絡することにある。<br />
短絡回路としてのモニュメント、残りの時間で、手段を問わずそれを作り上げる。</p>
<p><span style="color: #808000;">[Chinese version translated by Xinxin]</span></p>
<p>自3.11大地震以来，我们惶恐，不安，愤怒过，然而，如今，当这些感情融入到日常生活的点点滴滴中，融入到我们看着，听着，呼吸着的一切一切的时候，有冲动想要从中凝练出一份有生命力的作品，却不知从何下手。</p>
<p>今天，我收到了东京都内某场馆寄来的3月份个展的委托书。<br />
我打算延续《夜夜之镜》系列作品，展出关于福岛的银版照片。自川崎的展览结束以来，我数次踏上福岛的土地，试图找到我能做的事情，然而，冥思苦想，竭尽全力地寻找以后，终究没有找到我想要的答案。</p>
<p>核电站爆炸以后的短时间内，饭馆村和葛尾村的高浓度核辐射就被检测出来了。（明明在一开始具有高科技水准的检测仪已经精确地预知了真相。然而那些丧尽天良的人，无视活生生的个体，私自隐瞒事实，成为幕后的杀人凶手）当那些无辜的村落“被成为”【计划避难区】的时候，仿佛被揭开了伤疤，在伤痛中呐喊着内心的悲戚。<br />
我以为，那里应是夏草肆虐，稻田荒芜，破窗断瓦，人去楼空，野犬低吠。我曾打算从这些小细节入手，向世人间接地地表达我想传递的东西。<br />
然而，十月初再次拜访饭馆村时，却发现有些事物已悄然改变。田地规整，家家户户也恢复昔日的景象，据说，已经有一些老人回来，开始新的生活。这一切的一切，使我仿佛置身于梦境中。面对着广阔井然的风景，我几度揉擦双眼，在惊讶中驱车前行。<br />
那个时候的我我挖空心思地寻找的东西究竟是什么？而自己到底又找到了什么？我曾经是对什么事情抱着期待？我对什么下定了决心? 是不是看到荒废的田野，被杂草丛生的家家户户，我会迫不及待，自以为是地按下快门？</p>
<p>如果当时我拍下了这样的照片，在照片上备注地名的时候，我想应该会困惑地自问“你到底想要表达什么？”。<br />
饭馆村，南相马，福岛，这些名字此刻都有了共通的意义。现在听到媒体，摄影家，作家，社会热心人士提及这些地名的时候，感觉饭馆村已经不再是原来的“饭馆村”了。就像我们听到广岛，长崎，冲绳这些地名时的感觉一样，因为它们都有了些其他的色彩。</p>
<p>如今这个时代，肉眼能看到的景象会迅速被抛在脑后，而没能亲眼见识的事物也更容易被忘得一干二净。<br />
可见物和不可见物之间的空间，存在将它打开咒语。然而，当你说出这个咒语穿越这个空间的时候，你已经成为了另外一个自己。是否，是否，肉眼看到的福岛有太多我们还未涉猎到，不曾见到的故事。是否，是否我能用咒语揭开这层面纱.</p>
<p>现在手上拿着这张委托书，它似乎在提醒着我所剩的时间不多了。纸面的白色将我拖离无边的思绪，同时又让一丝念头闪入我的脑海。我想，我应该做的不是平直地叙述和记录，简单地记录下“那时，那地”。那里”（福岛，饭馆村等地方）和“这里”（远离受灾区的地方）此刻就象存在在一个平面上的平行边上的两个点，在一个时空内却无法相交，我多么期望自己能够用一股力量将此平面折叠，使我们成为没有距离的左邻右舍。<br />
我决定在接下来的时间里，尽我所能，找到让＂此岸＂＂彼岸＂紧密相联的力量，从而将其融入于创作之中。</p>
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		<title>9 days in Beijing -2</title>
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		<pubDate>Fri, 25 Nov 2011 16:17:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin_takashi</dc:creator>
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		<description><![CDATA[The last few days in China passed by as quick as whirlwinds, under the blue bright skies. I received that as i [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>The last few days in China passed by as quick as whirlwinds, under the blue bright skies. I received that as if the selfless devotion from Beijing city.</p>
<p>A frequent banquet is one of my most favorite things in China. You settle yourself at a Chinese style round table, and taste every precious cuisine, all sorts of delicacies and scorching 白酒/Baiju. You should not touch your glass without offering others their congratulations. Wide white tablecloth reflects gorgeous lights from the high-ceiling, and make everyones&#8217;s eyes brighten. You gradually feel as if the person next to you had been a close friend for years, after cheerful laughter that you share with him or her. You converse by words, warm glances, and the mysterious spin of round table too.</p>
<p>At the beginning there is a vague anxiety over us, I thought. After we worked together for 1 week, however, there is no more disquieting cloud between me and Lu, the gallery manager of Timeless Gallery.<br />
Once I was thinking like there is invulnerable gap of understandings between us, because of our apparent similarity as same Mongoloid. Japanese, Chinese (esp. the Han race), Korean and North Korean, we are surrounded by invisible Great Wall and separated on the borders of politics, and our mindsets.<br />
I and Lu cannot discuss abstract ideas and the detailed concept of my works. This is because of his poor English, but at the end I find that is none of the problem at all. Lu is clever with his hands, and certainly gifted for business. His parents are beautiful and kindhearted. They are both working as the executives of different telecommunication companies, and bought the excellent location by 白雲路/Baiyun street for Lu&#8217;s gallery.</p>
<p>Few days after the reception, we could have small conversations about my activity through Isabella&#8217;s translation. Isabella, Lu&#8217;s new partner, is a brilliant girl and now studying art and communication, and she wants to teach at university after a doctoral course in the future. (A young Chinese who received higher education usually has &#8220;English name&#8221; besides his original Chinese name. This is quite strange practice, but I think that shows the national characteristics of Chinese people robustly expand his/her life in foreign countries)</p>
<p>Lu asked me why I only work on landscapes, and told that it might be better to shift to another contemporary and unique theme. I always hear those kind of words by many, so I just answered that it must be too difficult to show the works like I&#8217;m recently dealing in Fukushima and devastated areas in Tohoku region. Also it is obvious that they won&#8217;t be sold in commercial galleries (and those plates are not for sale, by the way). Lu agreed, but he still said he wants to see them. I was slightly surprised&#8230;</p>
<p>At the first stage of our relationship, I suppose I haven&#8217;t absolutely accept the people like him. Thus I just ranked this exhibition as &#8220;sales&#8221; project to earn certain cash for the future projects.<br />
But, is that the right attitude as an artist? I might see the things in wrong way, through the dim glass of prejudice. I found that the image toward Chinese we Japanese share was the ready-made image that was strongly casted by our education and the mass media. I found that I&#8217;ve been unawarely following that poor image for over 30 years.<br />
My attitude is such weak and easily affected and manipulated, I finally recognized.<br />
The air surrounding wondering faces, the stir on lively streets, the new savor your tongue has never knew, appetizing smell filled in neighboring alleys of your hotel&#8230; Never forget that only those sensations are the origin of everything and the gateway to the real understandings.</p>
<p>My works sell well in the Timeless Gallery. Every collector asked Lu and me a lot of questions, and took hours to choose one daguerreotype. Needless to say, they are completely different people from the investors who bought all super-high-priced art works they could lay their hands on, during the period of bubble economy. I truly appreciate the collectors holding my works, that are to be together with their daily lives.</p>
<p>After all bustle of opening days gone, I had a day off in Beijing. That was chilly fine Monday morning. Pekingese, at first that sounds too stimulative for my years, is now become familiar, and every figures passed by looks tight and independent under the harsh sunlight in early winter. Suddenly I was awakening to the fact that their daily lives is seamlessly connected to my daily life, in somewhere far place.</p>
<p><em>&#8230; I&#8217;m deeply grateful to Lu, his parents, Mr.喬, Mr. Nishimaru of Photo gallery International, Isabella, Mrs.王, Tsuyoshi Takayama and all people who offered me hearty reception. I believe they opened the whole new world for me. Also, I want to say thank you to Xinxin, who made the last days in Beijing unforgettable&#8230;</em></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>予定より1日遅れて、昨日の午後に北京より帰国。</p>
<p>北京での最後の数日は、辻風のように慌ただしく、また寒空から注ぐ陽光のような、透きとおった日々だった。それは、この街が差し出してくれた、無心の贈り物のようだった。</p>
<p>中国の宴席は本当に好きなもののひとつだ。円卓に座って、料理が目の前を行ったり来たりするのに箸を伸ばしながら、時折杯を干す。一人で酒に手をのばしてはいけない。隣の人や全員に向けて祝いの言葉をあげてから、皆で一緒に飲み干すのが作法だ。白いクロスの円卓はみなの顔を明るく照らし出し、言葉だけでなく目配せや肩、くるくる回るテーブルの動きでも会話している。</p>
<p>はじめのうち漂っていた漠然とした不安感は、結局、ギャラリー・マネージャーのルーと数日間協働したあとすっかり消えてしまった。私は、向こうの人たちが何を考えているのか、結局のところ最後までは知ることができないと思っていた。それはおそらく先方も一緒だろう、というふうに。よく似た顔した民族であるからこそ、越えられぬ無言の壁。お互いのかすかな警戒心によって敷かれた、暗黙のノー・マンズ・ランド。</p>
<p>ルーとは抽象的な観念や、作品の細部について話すことができない。彼の英語が拙いのが主な原因だが、それも一緒に手を動かし、次々に発覚する問題を一つずつ解決するうちに、さほど重要な問題ではなくなった。ルーは手が器用で何でも作り、なにより商売のセンスが抜きんでている。<br />
ルーの両親はすばらしい人たちだった。彼のお母さんは非常な好相で、温和な雰囲気を漂わせている。両親とも通信会社の上役として働いており、ルーのギャラリーのために、一等地にスペースを買った。</p>
<p>展覧会があいた後、ルーの彼女を介して少し作品の話しができた。イサベラ（高等教育を受けた中国人は多くの人が英語名を持っている。これは私たちにとては妙な習慣に見えるけれど、どの国でも逞しく乗り込んでいく人々の一面をよく表しているかもしれない）はメディアとドキュメンタリーの勉強をしていて、将来は大学で教鞭をとりたい、と言った。<br />
ルーが、なぜ私がランドスケープばかり撮るのかと質問し、もっと特別なものを撮るといいよ、と言ってきたので、でも福島で私が撮っているような作品はこちらでは見せられないでしょと答えた。それに、間違いなく売れはしないだろう。彼はそのことを認めつつも、作品は見てみたいと言う。</p>
<p>ここでの展示が決まった時、たぶん僕はここの人たちを100パーセントは受け容れてはいなかった。それだから、ここはとにかく作品を売りに行くのだ、と割り切るように準備を進めてきた。でも、その態度は本当に正しかったのだろうか？気持ちの中のどこかで、この国の人たちを曇った眼で見てはいなかっただろうか？それは、本当の個々人ではなく、私たちの教育やメディアによって周到に植え付けられた、漠然とした「全体」のイメージだ。それに自分もすっかり染まったまま気付かず、三十年も生きてきたということだ。そして自分のアティチュードがいかに弱々しく、熱の足りないものであるか、後になってようやく気づくのだ。</p>
<p>ひとつの場所で、顔にそよぐ空気、さざめく街区の音、初めて舌にふれる味、夕餉のにおい。見知らぬ顔と顔。いつでもそこがすべてのグラウンド・ゼロだということを、決して忘れないこと。</p>
<p>作品は順調に売れゆきを伸ばしている。買ってくれたどの収集家も、たっぷり時間をかけて話を聞き、迷いながら作品を選んでいた。彼らがアート・バブルのひととき高価な作品を買いあさっていった投資家たちとはまったく別の人々であり、作品をずっと大切にしてくれるであろうことは、疑問の余地もないことだった。</p>
<p>オープニングや収集家たちの訪問がひととおり落ち着いたころ、1日だけ一人で過ごす時間を作った。<br />
よく晴れた月曜日の、うら寒いストリートをゆっくり歩く。はじめ刺激の強かった北京語の音はもう耳になじんでいて、すれ違う人々の背中が、日常のなかではっきりした輪郭を描き、私の日常と遠くの方でなめらかに繋がっているように思えた。</p>
<p><em>&#8230;私にとって未知の世界を開いてくれたルーとその両親、喬先生、すべてのきっかけを作ってくださったPGIの西丸さん、イサベラ、ギャラリースタッフの王さん、写真家の高山剛さん、そして、最後の数日を素晴らしいものにしてくれた新新と、温かく迎えてくれたすべての方々に、心から感謝します！</em></p>
<p><span style="color: #993300;"><em><br />
</em><span style="color: #808000;">[Following Chinese version by XX]</span></span></p>
<p>北京的最后几天，就像疾风一样慌张，忙碌，又像寒日里倾斜而下的阳光般的清澈明快。这一切，就像这陌生的街道，无心之中送给我的礼物。<br />
真的很喜欢中国式的聚餐。大家热闹地围着一张圆桌坐着，一盘盘菜在面前随着桌子的转动着，然后我们向自己中意的菜伸着筷子，时不时地还干上一杯。总觉得，在这种场合，如果自己拿起酒杯，一个人默默地喝的话，倒显得有些尴尬。若是身边的人，或是在座的各位，一起说点祝福的话，煽动起气氛，一起干杯才合情理。圆桌上的透明的转盘上印着大家的脸庞，不仅仅是简单的语言交流，还有眼神，和身边的人偶尔肩膀的碰撞，这些都随着桌子咕噜咕噜的转动进行着。<br />
刚开始的时候，确实感到茫然和不安。之后，在画廊经理lu的几天的照顾下，这些情绪却烟消云散了。但是，我还是不得不说，常常不太明白对方究竟在想什么，直到现在，还是有这样的感觉。我想，对方应该也和我一样吧。虽然我们是长相相似的两个民族，但是，还是中间还是存在着无法逾越的屏障。人们相互戒备，由此便形成了灰暗的“无人区”。<br />
也许是因为英文不好的关系，lu总是不能顺畅地表达他对作品的想法和观点，真心希望能够跟他有更多深入的交流。不过，值得庆幸的是，我们常常用上肢体来弥补，一步一步解决了很多的问题。Lu有一双巧手，说他什么都能做，还真是一点都不夸张。除此之外，更让我佩服的是他超群的商业头脑。<br />
Lu的父母都是很好的人。他的母亲给人的感觉很亲切，有她在，气氛会不经意地变得轻松起来。我想，也许由于父母双方都是中国有名的通讯公司的高层，lu在他们的支持下，才顺利地在最好的地段经营起画廊。<br />
开展以后，有机会认识了lu的女朋友，一起稍稍聊了一下作品的事情。伊莎贝拉（在中国受过高等教育的中国人都常常有一个英文名。这种习惯对于我们还是觉得有点点奇怪，但它也许正体现了人们习于探索他国的一面）正在学习传媒和纪录片的相关知识。记得她告诉我，以后想在大学教书。<br />
决定在这里办展览的时候，总觉得这里的人并没有百分之百地接受我。于是，就带着卖作品的目的，循序渐进地准备起来。然而，这样心态是否真的正确呢？怀着这样的心情，仿佛眼睛也被蒙蔽起来，没有好好地看看这个国家的人。其实话说回来，一直以来，我们都是被教育媒体影响着自己的思维，自主判断的能力很差，或者说，连想要拥有自主判断的热情都没有。<br />
我想，对于初来乍到的我来说，最不能忘怀的，是脸上呼吸着的空气，荡漾在街角的声音，舌尖初次感受的味道，夕饷的香气，还有那陌生的面容。<br />
作品卖得很顺利。花了充分的时间和收藏家们商谈，他们一边还是怀着稍稍疑惑的心情，买下了作品。毫无疑问，他们和那些靠倒卖艺术作品发家的投资商是完全不一样的，都是是真正爱惜艺术作品的人。<br />
等到开幕式和与收藏家们的访问都告一段落的时候，心也安定下来。<br />
决定自己一个人好好感受一下这座陌生的城市。在晴朗的星期六的早上，漫步在寒冷的街道，被浓重的北京口音包围着，周围来往的人群清晰地勾勒出了生活的轮廓。虽然，这一切对我来说，还是存在无以言表的距离，但是，渐渐地，和心里擦出了微妙的火花。</p>
<p><strong>在这里，真的很想对下面的人，由衷地道声“谢谢！”。帮我打开未知世界大门的lu还有他的父母，乔老师，为我创造机会的西丸先生，伊莎贝拉，画廊的员工小王，摄影家高山刚先生，把我在北京的最后几天变得绚丽多彩的新新，以及温暖地迎接我的所有人。</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>9 days in Beijing -1</title>
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		<pubDate>Fri, 25 Nov 2011 14:43:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin_takashi</dc:creator>
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		<title>The New Theory of Daguerreotype as a Monumental Container</title>
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		<pubDate>Fri, 04 Nov 2011 04:36:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin_takashi</dc:creator>
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		<description><![CDATA[Today photography is widely accepted as a medium. The image based on mechanical reproduction exposes or proofs [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>Today photography is widely accepted as a medium.<br />
The image based on mechanical reproduction exposes or proofs a certain state of reality and motivates people by its captioned meanings. Each photograph is distinguished by patterns, colors and implications. In a massive number of reproductions, however, the differences among those images are practically nothing. Any image of superb beauty, hideous sight or anything looks new loses its vigor on the flat surface of a photograph, and is to be equally consumed under the flood of mass information.<br />
What about daguerreotype thus?<br />
Daguerreotype is not a medium but a container. A container is an object which is exposed to the direct radiation of the light at the exact location where the certain event happened. For example, Lucky Dragon, a wooden fishing boat exposed to radiation in American H-bomb test of Bikini in 1954, is one of a containers. On the other hand, the cenotaph of Hiroshima, the memorial sculpture newly built after World War II, is not a container because the surface of the object does not record any physical sign of the A-bomb. The object of this kind is rather considered to be a medium that guides people to the specific interpretation of an event.<br />
Because of its practical significance in a group, a container sometimes functions as a monument by more than one person.<br />
What is the necessary condition of that a container roles as a monument? Once an individual container is shared by others and used as a catalyst of remembrance, the common cult value as a monument is to be brewed gradually in a community. Essentially a monument is not a medium that conducts the specific context of the history, but rather a sensuous container that triggers diverse emotions of each individual. Although it is generated by one event, a monument reignites different sensations by different individuals, groups, generations and circumstances.<br />
Naturally, a monument has its physical life. For instance, the massive wooden construction of Lucky Dragon is destined to collapse after some generations.<br />
In Japan, one of the worst countries that experienced gigantic earthquakes and tsunamis frequently in the history, shrines and temples have been reconstructed at regular intervals. Even if they are not destroyed or damaged yet, this procedure has been kept for centuries as the most important tradition. I consider that this is the active means to create the relays of monuments before an expecting crisis. However, this is merely one of few successful exceptions in the entire history of the human race. This relaying process works only with the perfect system organized by precise rituals by the hands of priests and few technicians. Primarily, the original surface of a container is the key element of a monument. Therefore, the relaying process itself needs to guarantee for the same degree of cult value to the original monument, so that the relayed object rolls as a monument equally with the original one.<br />
From this point of view, it is neither possible nor meaningful to reconstruct the body of Lucky Dragon or the World Trade Center on Ground Zero because we have no ritual or don’t have any other reasonable method to relay the monumentality of those modern containers.<br />
To face the collapse of a monument, modern photography traditionally filled the role of a document. A photograph as a documentary medium represents ‘what was,’ as Roland Barthes expressed in &#8220;Camera Lucida,&#8221; but never be able to replace the absence of a monument itself. Daguerreotype is, on the other hand, the one-off precise miniature of an original subject. Thus daguerreotype can functions &#8216;as is&#8217; container which relays the monumentality of an original monument.<br />
Japanese photographer Takuma Nakahira’s used the word &#8220;monumentalization&#8221; of a photograph with a negative connotation. When the particular image is persistently broadcasted by media, the image is gradually transformed to the symbol that promotes a single political interpretation of an event. According to Nakahira, this modification is defined as the &#8220;monumentalization&#8221; of images.<br />
As I consistently discussed, yet, the monumentality of daguerreotype is not related to the implication of image, but is only entitled by the physical attributes as a container.<br />
Our memories and emotions are not durable enough. Again and again we experience the emotions that we strongly wish to embrace forever, but every sensation is to be weathered and worn away after a short while. Originally in the early 19c, daguerreotype was desired as a minute container to secure the likeness of self or dearest people and to convey those images toward the time after the death, in another word, toward the future.<br />
To protest against the natural extinction and inevitable oblivion, monuments must be relayed with the solid container of daguerreotype. This is the concept of &#8220;monumentary photography&#8221; that I advocate as the alternative and the new theory of photography in our century, before and after a crisis.</p>
<p>今日「写真」とは、広く媒介するもの＝メディウムを意味しています。<br />
複製可能なイメージは、キャプションされた意味によって告発し、証拠づけ、動機づけるものです。それぞれの写真は形態や色彩、またそれぞれが媒介する意味によって相対化されますが、日々産み出される圧倒的な量の複製物のただなかで、その差異とはじつのところ微々たるものです。あらゆる醜悪さ、心を奪う美しさ、目新しさはフラットな映像の表面においていまや等しく陳腐であり、瞬時にして消費されていくのです。<br />
ダゲレオタイプとは何か？それは、運搬するもの＝コンテナーです。<br />
コンテナーとは、ある出来事が起きたまさにその場所において光の放射に晒された物体のことを意味します。たとえば、第五福竜丸（1945年にアメリカの水爆実験により被曝した、日本のマグロ漁船）は、その場の光と熱線を受け止め、現在もなおその表面を保持しつづけるコンテナーのひとつです。一方で、広島の原爆慰霊塔は直接に原爆の痕跡を伝えるものではなく、歴史的事実のシンボルとして意味を媒介するメディウムと言えるでしょう。</p>
<p>コンテナーは、その実用上の意義から、集合体のなかでしばしばモニュメントとして捉えられてきました。<br />
コンテナーがモニュメントとして機能する条件とはどのようなものでしょうか？それは、コンテナーへの接触が、個別の営みとしてだけでなく、ある集合体のための記憶装置──もっと精確に表現すれば、想起のための触媒──として共有され、その礼拝的価値が醸成されることにあります。ここで留意しなくてはならないのは、モニュメントとはより感情的な存在であり、一つの歴史認識を表象するもの（＝メディウム）ではない、ということです。すなわち、一つのモニュメントは一つの出来事によってもたらされますが、そのモニュメントを触媒として新たに生み出される感情は、それに接触した個人や集合体、あるいは時代によっても異なっているのです。</p>
<p>さて、こうしたモニュメントには、当然ながら物理的な寿命が存在します。第五福竜丸の例を挙げれば、大型木造船であるそれは腐食や風化が進むにつれ、数世代の後にはいずれ崩壊する運命にあります。<br />
歴史的に地震や津波などの災害の頻発国である日本では、たとえば社寺仏閣といったモニュメントは、定められた期間ごとに常に新しい部材によって再建築されてきました。それは、たとえ社寺が傷ついていないとしても執り行われるべき重要な行事として、長く受け継がれているものです。私はこれを、モニュメントの積極的なリレー作業であると考えています。しかしこの例は、歴史における数少ない成功のひとつに過ぎないと言えるでしょう。そもそもこのリレー・プロセスは、十分にシステム化された儀礼や諸条件（宮大工などの技能集団の存在、細かな宗教的所作など）にのっとって行われなければ意味を成しません。なぜなら、ほんらいその表面性が重要であったはずのコンテナーが、部材の交換を経てなおモニュメントとしての機能を維持し続けるためには、リレー・プロセスそのものに、同等の礼拝的価値がなければならないからです。<br />
第五福竜丸やマンハッタンのグラウンド・ゼロといった現代のモニュメントを再建築によってリレーすることは、この点において無意味かつ不可能であるといえるでしょう。それら現代のモニュメントに対して、わたしたちは、リレーに必要な儀礼やそれ以外のいかなる手順もいまだ確立していないからです。</p>
<p>近現代において、複製可能な写真イメージはモニュメントの崩壊に際してつねにドキュメントとしての役割を担ってきました。こうしたドキュメントとしての写真は、バルトが述べたように「かつてそこにあった」ことを示すものですが、その不在を埋め合わせることはできません。<br />
他方、複製不可能で圧倒的な解像度を持つダゲレオタイプは、世界と一対一の精巧なミニアチュールであり、それゆえ現実と等価の存在です。すなわち、ダゲレオタイプはモニュメント性を引き継ぐ「いまここにある」コンテナーとして機能しうるのです。</p>
<p>写真家の中平卓馬は『なぜ、植物図鑑か―中平卓馬映像論集』の中で、映像の「モニュメント」化という語彙を、ネガティブな意味で用いています。一つのイメージがくり返し複製され、報道されるにしたがい写真そのもののアクチュアリティが失われ、特定の政治的意味を表象するシンボルに変質していく、というものです。<br />
しかしながら、くり返し述べてきたように、ダゲレオタイプのモニュメント性とはイメージが表象する意味内容とは無関係に、銀板そのものがコンテナーである、ということにのみ根ざすものです。<br />
記憶や感情は、持続させることができません。わたしたちは永遠に忘れてはならないことがあるのに、ごく短い時を経て感情は先端を失いもろく風化していきます。19世紀初頭に現れたダゲレオタイプとは、自分自身や大切な人々の似姿を精緻に記録し、死後の時間すなわち未来へ向かって運ぶために欲望された、コンテナーなのです。<br />
それ自体コンテナーであるダゲレオタイプによって、モニュメントの積極的更新を行うこと。私が独自にモニュメンタル・フォトグラフィーと呼ぶこの試みは、21世紀における、消滅と忘却への新たな抵抗の礎となるでしょう。</p>
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